水をきれいにする人 4

事実、汚れた水の悪評について調べていたある新聞記者が、この夢のような設備を提案する変った田舎紳士を発見するまで、彼の計画は市の関係役人の誰の注意も引かなかったのです。


クロフタは彼の参入したこの新しい市場について何も知らなかったのですが、ただライバルたちの誰よりも自分がよく知っている2つのことに焦点をしぼって仕事をしてきました。


自分の住んでいる土地と彼が開発した技術です。


今度の新しい冒険も彼にとってはこれまでの事業のゆるやかで有機的な延長線上にあるもののように思っていました。


その点では彼はまったく間違っていたようです。


彼のやろうとしているのは公衆衛生の分野の革命だったのです。


表面的には彼がこの仕事に成功する道はないかに見えました。


アメリカでは公衆衛生問題は宗教に等しい扱いを受けていました。


たしかに病気を予防し、寿命を伸ばしたという点で公衆衛生専門家のすばらしい業績は国民の尊敬の的になって当然でした。


今世紀初頭、公衆衛生上の施策はもっぱら水に焦点があてられ、その成果は何千年にもわたる大敵であった各種の疫病の発生を根絶し、それによって人間の生活状態そのものを変えていました。


水の純度を極度に重要視し、公衆衛生を守るためにはいかなる代価を払っても純度を保持しなければならないというのが、専門家団体の固定観念となっていました。


失敗の代価が疫病である以上、それはもっともな原則です。


恐らく最も有力なその原則の支持者は、全国的規模の大手コンサルタント会社でしょう。


どの会社も多国籍企業や大きな自治体に対する、物資の調達についての助言役をつとめていました。


水をきれいにする人 3

もし1年たって町がその装置を購入したいということになれば、クロフタは35万ドルを10年払いで請求することになります。


・・・ただし州の環境品質工事局(DEQE)の承認が条件となりました。


環境品質工事局は通常、現行の環境保護庁仕様に合致しない設備は認めないため、この承認をとることがクロフタにとっての問題でした。


ここでいささか奇妙に思われるのは、一度何かの承認を受けたものなら、何であれ州はそれを承認するということです。


しかしクロフタの企業家としての才能はこのような承認のパラドックスを乗越え、州はレノックスの町にクロフタの装置の使用を許可しました。


彼のサンドフロートは合法的にレノックスの水を浄化しており、彼は71歳でさらに規模の大きいピッツフィールド市の浄水に挑戦することになりました。


ピッツフィールドは人口5万という、レノックスの10倍以上の都市ですが、そこでは環境保護庁の指示によって、濁った上水の浄化を行おうとしていました。


すでにこの分野の専門家たちは環境保護庁が〈利用しうる最高の技術〉と折紙をつけたシステムを提案していました。


しかしクロフタはピッツフィールドの市長および市議会に対して、サンドフロート・システムを採用すればそのわずか5分の1の費用で市の抱える問題の解決が可能だと、信じられないような主張をしたのです。


隣の町レノックスでの成功がなかったら、それより大きなこの都市への彼の提案は一顧も与えられなかったはずです。

水をきれいにする人 2

資本主義は、旧石器時代の商人が複雑な需要や面倒な物々交換の交渉がいやになって、突然一か八かの賭を試みた時に始まったといわれます。


・・・つまり獣皮をただで提供し、それによって得られる最高のものを手に入れようとしました。


受け手は贈られた物以上の値打ちのあるお返しをします。


それが物々交換経済の原始社会では当然とされる際限のない贈り物の循環、贈呈、儀礼の始まるもととなったのでしょう。


クロード・レヴィ・ストロースは書いています。


「互恵主義は社会生活の基本的な法則である」。


・・・この基本的法則を否定し、贈収賄の禁止、利他的サービスの理念、利害関係を超えた公衆の利益という考えの上に立つ官僚政治は、貨幣のない部族組織と同様の迷宮のような混乱を再現しています。


しかし、行き詰りは時に贈り物によって打開されることがあります。


贈り物は契約とはまったく異質で、慣例や期待に頼るものです。


クロフタの場合、彼は自社の〈サンドフロート〉浄水処理装置をその保全と作業員の研修込みで町当局に提供したのです。


1年間の無料実物宣伝という名目でした。

水をきれいにする人

低コストという問題に対するその鋭い見解さえも、彼の水の純度へ関わる姿勢について疑惑をかきたてました。


水質擁護論者にとっては、水質は技術的、経済的な問題というよりもむしろ道徳的問題なのです。


しかし、70歳のクロフタはレノックスの町の廃水処理システムについて7万3千ドルの見積りを提示しました。


専門のコンサルタントが提示した40万ドル、後に60万ドルに増額したシステムより運転経費も安く、効率のよい装置でした。


愚直な彼は、32万7千ドルの開きは大きな強みだと考えていました。


しかしそれは間違っていました。


町当局はあっさりと彼の案をしりぞけたのです。


環境保護庁(EPA)と州が高価な設備の95パーセントを負担することになったのです。


州は沈殿物を除去するためのダンプ・トラックの投入まで約束しました。


クロフタの装置を使用した場合には沈殿物は再生利用されるからトラックは要らないのですが・・・。


もっとも、町当局がそのトラックを道路に砂を撒くことに使ったとしても誰も文句はいわないでしょう。


都市行政委員会が、斬新でもっと安価なシステムを採用しようと言い出さないかぎり、政府機関は自治体に大盤振舞いをしたがるものです。


仕事をとることには失敗したもののクロフタもこの供応の余得にあずかりました。


この工場から排出される物質の試験という役目を手に入れたぼかりでなく、この次に主要都市との契約の機会があった際には別の方法でいかなくてはならないということを学んだのです。


2年後レノックスの山中の水源が異様な味と色で汚染され始めた時、彼は企業家としてごく原始的な行動をとりました。


その昔の穴居人資本家時代からの典型的な始動戦略です。

本田宗一郎の言葉

オートバイで世界制覇を果たした本田技研の本田宗一郎さんは・・・


「今日の経営学になにが一番必要なのか。なかなかの大問題である。


正直いって私の会社の組織なども、他の大企業に比較すると足もとにも及ばない。


その機構も、また社員も、それほど卓越したものはないと思っている。


そんな私にも、ただ一つ誇りたいことがある。


それは若い人たちである。


その若い人たちに対して、本当の気持をくみとり、みんなにふるい立って働いてもらったということが、今日の繁栄をもたらしている、と思う。


若い人はいいものだ。


過去を持たないからいつも前向きの姿勢でいる。


将来へ一歩一歩前進しながら、現実をありのままに受けとめて、新鮮な心でこれを吸収する。


そして、正しく時代を反映する。


いい経営とは、そうした若い人に夢をもたせることだ。


漠然とした"少年よ、大志を抱け"といったものではなく、いわんや"勲章つけて剣さげてお馬に乗ってハイドードー"なんかからは、全然正反対なのである。


したがって"夢"にはその背後に世界的視野に立った理論が裏付けになっていなければならない。


どこの国にいっても通用する理論、それが若い人の夢を生む。


さらにその夢が世界市場どこに出してもひけをとらない製品をうんでゆく。


自由化時代を勝ちぬくためには、道はただ一つしかない。


それは技術をあげることだ。


外国の製品より品質をよくすることだ。この考えに徹せぬかぎり、どんな政治的解決も無意味である。


戦争前は、いやついこの間までは、資本力があるものが、資本にものをいわせてその地位を保ってきた。


それは企業の石頭がよく承知している通りである。


しかし、今日のように、目まぐるしく進歩する時代においては、独創性、つまりアイデアが資本力にかわって、より重要なものにのし上ってきた。


よいアイデアがなければ、いかに金貨の袋を抱いていても、時代のバスに乗りおくれるのは必定である。


よいアイデアに国境はない。よい製品に国境はない」。


・・・と語っておられます。


これらの言葉は、いまMR転職情報などで転職先をがんばって探している人たちの胸を熱くするものですね。

海外留学の歴史

こんにちは。今日もチェストツリーを飲んで元気です^^


さて、海外留学は慶応2年(1866)に初めてこれを許可する幕府の令が出ます。


もっともそれ以前に、森有礼らが秘かに渡英しているのではありますが・・・。


これ以後、留学は次第に盛んになり、同年暮れには中村正直らが幕府により英国へ派遣されています。


これが幕末までの事情です。


最初は医学・天文学のための和蘭語の勉強で始まった外国語学習は、イギリス船渡来以来、もっぱら国防上の国家的要請に応ずることになりました。


『福翁自伝』に、福沢諭吉が安政6年(1859)に横浜に行き、英語の必要性を感じて帰ってくる話しが述べられています。


和蘭語を数年やった彼が、横浜で見かけた看板の横文字が読めず、これからの洋学者は英語ができなければどうしようもないことを痛感するのです。


彼は2年後に渡米しますが、帰国すると、これまでの蘭学塾を英学塾に変えています。


ここで、馬場辰猪ら有名な人たちが勉強することになるのです。


山鳥の矢 その3

それから急に嫁の姿が見あたらなくなりましたが、まもなく一本の太い矢を憾ってきていいました。


「じつはわたしはあなたが助けてくれた山鳥でございます。


おかげでいのちが助かりました。


この矢は山鳥の宝の矢でどんなものでも射通すことができるのです。


さあ、これで悪者を一刻も早く退治して下さい。」


こういい終った瞬間に、嫁の姿がぱっと町鳥の姿にかわりました。


「あっ。」


びっくりしているカカさんと息子をあとに、山鳥は峠の山めざして飛んで行きました。


息子は山鳥からもらった矢で悪者をみごとに退治して、村人から感謝されました。


それからというもの、その矢を持っているために、息子はどんどん出世してよかくらしをしましたそうじゃ。

・・・

以上、屋久島の民話「山鳥の矢」でした。

山鳥の矢 その2

前回から引き続き、屋久島ツアーで人気の屋久島の民話です。

それから二人はよめしを食べてやがて休みました。


その晩のこと。


「ごめん下さい。ごめん下さい」という声がしました。


息子は、


「こんなにおそうなってから、いけな人じゃろうかい。何の用事やんうかい」


と思いながら、戸をあけてみました。


すると、そこに見知らぬ一人の娘が立っていました。


「わたしは道に迷うてどっちへも行かれません。今晩どうかここに泊めてくれませんか。」


「それは気の毒なこと。どうぞ泊いやんせ。」


娘はその晩、そこに泊りました。


あくる朝はまっさきに起きて、水を汲んだり火をあこしたりして、かいがいしく手伝いました。


そこでカカさんがいいました。


「あんたははじめて泊ったのに、暗かうちから起きて水もくんだり火もあこしたりして手伝ってくれるが、いけなわけかな。」


娘はにっこり笑っていました。


そして、朝飯の仕度もすっかりととのえてくれました。


朝飯を三人で食べてから、カカさんと息子は、


「この娘さんは、どこさめ行くたんうかい」


と思っていましたが、どこへも行かないで、あれこれと手伝いをするのでした。


その翌日もそうでした。


「おかしかなあ、この娘さんは。どっちに行くかと思っていてもどこさめも行かんが。


しかし、なかなか働きものでよか娘さんじゃいが、息子の嫁になってくえんうかい」


こう思ったので、カカさんは娘にいいました。


「あんたはどっちに行くかと思えば、どっちにも行かず、家にあるが、いっそのこと、ここの嫁さんになってもらえんか。」


娘は、


「そうですか。それはありがたいことです」


といって、こころよく承知しました。


息子の嫁になった娘は、それからも一生懸命働きました。


さて、息子は弓を射るのが達者でした。


ある日、隣り村に悪者が出るから退治してくれと、息子のところにたのみにきました。


これを聞いていた嫁が、こういいました。


「あなたの矢ではとてもあの悪者を退治することはできません。わたしのおばさんの矢を借りて射ればできるでしょう。」

山鳥の矢

むかし、むかし。


あるところに、トトさんは早くなくなって、カカさんと息子がいっしょにくらしておりましたちゅう。


ある年の暮れに、息子がいいました。


「おっかん、正月も近うなってくっから、おれが里の店に買物に行たてくっかア。」


それから息子は、山の中の一軒家のわが家をあとに、坂道をのぼって村里へ出かけました。


坂道をあえぎあえぎ急いでいると、道わきのやぶの中から、パサパサッ、パサパサッという音が聞こえてきました。


「あわ、今の音は何じゃろうかい。」


じっと耳をすましていると、またパサパサッ、パサパサッという音がしました。


「おかしかなあ。」


息子はどうも不思議でなりません。


やぶをかきわけて中にはいってみました。


ところが、だれかが仕かけた鳥わなに、山鳥がかかって、パサパサもがいているのでした。


「あー、山鳥、わあ、わなにかかったーんな。あれがはずしてくっかア、ネ。」


息子は山鳥のわなをはずしてやりました。


山鳥は息子の頭の上をくるっと一回まわってからどこかへ飛んでいきました。


「だいか知やんが、このわなをかけた人にゃ、すまんことをしたわい。


その人も正月は来るし、鳥の一羽でもとってそいを売って、正月の買いものをすっとじゃなかったんかい。」


そして、息子はかたわらにおちていた一枚の広い木の葉をひろげて、その上に自分が買いものに行くためにもってきた銭をのせておきました。


息子は買いものはできないので、そのまま手ぶらでひき返しました。


家ではカカさんが息子の帰りを今か今かと待っていました。


やがて帰ってくる息子の姿がみえました。


「まこち、ま、かいもんに行くっちゅて出たとに、何ももたんじ手ぶらで来んが、はア。」


カカさんがあきれていると、家に帰りついた息子がいいました。


「おっかん、きょうはけーもんに行くつもりで坂道をのぼっていたとこいが、山鳥がわなにかかっちょって、あんまいぐわーしゅうして、わなをはずしてのがしてやったよ。


とこいが、わなをかけた人も、鳥でもとってそれで正月のしめをすったんろうと思うたとこいが、そん人がぐわーしゅうなって、銭な全部、わなのねきにえーてきた。」


「そうか。そげなことじゃったとか。そんならよかことをしたね。」


開発への課題 8

供与対象分野は、インフラ整備に重点が置かれています。


同国の目覚ましい発展の基盤となっている直接投資を誘導する上での重要な役割を果たしてきました。


特に電力、ガス分野に対しては、対マレーシア円借款の51.8%が供与されており、それに運輸部門(20.1%)が続いています。


近年では、マレーシア政府が財政支出を抑えるべくインフラ整備を民活によって推進する基本方針を立ててきたこと。


また、為替リスク回避の観点から国内資金を重視してきたこと等により、1995年以降マレーシア政府から円借款の要請はなされていません。


しかし、通貨危機の影響で次世代に向けてのインフラ整備や人材育成など、マレーシアが重要視する開発分野で、民間資金の導入が困難となり、財政支出削減の影響がでてきています。


このことから、円借款のような譲許性が高い長期的な資金の役割を見直す動きがあるでしょう。


なお、OECFは1992年5月に人材育成の分野で、理工系の留学生の日本への派遣を対象とした「高等教育基金借款」(HigherEducationLoanFundProject:HELP)に対する借款を供与しています。


97年12月末までに、3期にわたり、日本への約220名の工理系留学生の派遣を支援、マレーシアの次世代を担う人材の育成に寄与しています。

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